良い群像劇というのは、登場する人物を全て足すと”ひとりの本当の人間”が立ち現れて来るものだと思っている。聖者もカスみたいなやつも、取るに足らないやつも、むかつくやつも、格好良いやつも、それぞれを全部ごちゃまぜにすると”人間”そのものの姿が見えて来る、ということだ。

そして私はそんな群像劇を素晴らしいと思っている。だからこそ、今回の投票で「共感する人物は誰ですか?」という問いで全ての人に丸をつけている人が割と多かったことが実はひそかに嬉しかった。それは全ての人物がその人の中に”居た”ということだ。

だからなんだというわけじゃないんだけど、なんだか嬉しかったそんな話。

11/15

今回のSCREENINGSは、題して「完璧なドーナツ投票所」

”あなたは完璧なドーナツに賛成ですか?反対ですか?”というテーマで

東京のど真ん中で東京に住む人々の民意を問おうというわけだ。

 

実は昨日、展示会スタッフによる期日前投票が行われた。

結果をみながらなるほどなるほど、と思う。いまのところ賛成が有利、といいつつ票は割れている。

「みんな仲良くした方が良い!」というポップな思いとともに「ドーナツの穴からサーターアンダギーがはみでていることに意味がある」という鋭い考察が続き、実に興味深い。観客の想像力は豊かだ。

 

キュンチョメの事前投票予想を発表しておこう。

おそらく賛成派多数、7対3くらいの比率になるのではないだろうか。

 

今回は「賛成、反対」投票の他にも、出口調査と銘打ってもう少し立ち入ったアンケートも書いてもらっている。その項目は「賛成/反対の理由」と「映像の中の誰に共感したのか」。私たちの予想では芸人クリスなんかが共感を得るのではないかと踏んでいる。なぜなら彼はハンサムでクレバーでユーモアがあるからだ。そしてその結果「完璧なドーナツを作ることに賛成」という票が増えていくのではないか、と予想している。果たしてどうなるのだろうか。私は、私の予想が大きく裏切られることを期待している。

11/16

選挙箱に初めて票を入れた日のことはいまでも覚えている。別に特別なことがあったわけでもないし、投票の内容もさっぱり覚えていないけど「国を動かす何かに参加する年齢になったのだ」ということにゆるやかなショックを受けたのだった。今回は会場で、"完璧なドーナツ"に関する投票をおこなっている。

 

初日の今日は、賛成がやや優勢になりつつ反対の票もぼちぼち入っていた。このままいけば賛成多数になりそうだが、まだ展開は読めない……。というところで衝撃の自体が起きた。

10人を超える10代の学生さん団体がやってきて、なんと全員が賛成に投票していったのだ。まるで組織票。いや、彼らはもちろんお互い話し合ったわけではなく個人で決めたのだから組織票ではない。10代の選挙権が大きな威力を持つことが私の目の前で証明されていく。

 

しかし投票というシステムがこんなに面白いものだとは、やってみるまでわからなかった。投票する側でいたときは馬鹿げていて退屈極まりないと思っていたのだが、やる側になってみると面白い。賛成か、反対か、その二択しか与えられない選挙はほんとうに暴力的なシステムだ。ならばこの面白さは、暴力は面白いということを意味するのかもしれない。なかなか危険な思想である。しかも国が行う選挙なんて、それで未来が変わっちゃうんだから。

 

自分が投票をさせる側になって白紙票の意味のなさも痛感した。私も過去に選挙で白紙票を入れたことがある。しかしそれは、抗議になりえない。票をカウントする私にはそう思えた。無効票として事務的に処理されていくだけだ。世の中はこんなどうしようもないシステムで、よく今までやってきたものだと思う。世界って残酷だなぁ。

11/17

最近iPhoneを買い換えたら、保存していた音楽が一曲を残して全て消えてしまった。残った一曲は、2017年リボーンアートフェスティバルの公式ソング、小林武史作曲「What is Art?」だ。Apple社は時として、こういう示唆的ないたずらを仕掛けてくる。「What is Art?」それはiphoneというパンドラの箱に残された究極の問い。

「♫そのメッセージ 違って伝わっても someone send someone take」

そんな歌詞がこの曲にはでてくるのだけれど、まさに今の私の心情を代弁するかのような歌詞だ。

 

というのも今回はじめて"自分の作品に投票させる"という実験を行ってみて、「違って伝わってることが多々ある」ということが浮き彫りになってきたからだ。わたしはこの作品で「沖縄とアメリカが仲良くすると超ハッピーだよね!そんなハッピーな未来を目指そう!」と主張したいわけではない。しかし、この映像が米軍のキャンペーン映像のように見えることもあるらしい。それは私たちの力量不足なのか。いや、人はつねづね「見たいものを見る」生き物である。ならば、その人が見たいものが見えてしまうということが、この作品の肝になるのかもしれない。あるいはそれこそが世の中の全てなのかもしれない。なんともはや難しい。

 

東京初上映を通して驚いたのは「完璧」という言葉に食いついて来る人がとても多いことだ。完璧なんてありえない。それは完璧じゃない。完璧なんてつまらない。そういう回答が非常に多かった。沖縄で対話した人たちは誰一人として「完璧」という言葉にこだわる人はいなかった。焦点はつねに”合体"というところにあった。なぜ東京では”完璧”に目がいくのか。ある観客から「東京では完璧という言葉にしかリアリティが持てないからではないか?」という感想をいただいた。完璧という言葉の歪みしか見えていないのではないかと。なるほど、そういう見方もできるかもしれない。しかし、皆が無いと言い張る「完璧」は、本当に存在しないと言えるのだろうか。完璧なドーナツは、本当に存在し得ないのだろうか。アートは時として、間違う。いや、アートの歴史は間違いの歴史であったといってもいい。完璧なんてありえない時代だからこそ、完璧が重要になるのではないだろうか。世間がこんなにも「完璧」を否定するのなら、私はもっと完璧について考えていきたい。この結果を受けて、連続上映企画の中に「完璧」にたどり着くことだけを模索する回を設けようと決意したのだった。

 

炎上時代の昨今、言葉尻ひとつで人生が潰されることはもはや珍しくなくなった。それだけ私たちはひとつひとつの言葉に注意せざるをえない。おそらくこの世界には、燃えやすい言葉がいくつも存在する。湿った薪にすら一瞬で火をつける発火材。そのうちのひとつに「完璧」という言葉がノミネートされるだろう。ならば注意深く、しかし大胆にこの言葉を使っていこうと思う。

 

 

 

11/18

果たして投票をさせてよかったのだろうか。という迷いが少しある。個人的には超おもしろかったんだけど。

投票結果と場の空気感を三日間体験し、ドーナツという柔らかい存在を投票という鋭利な刃物でズタズタに断ち切ってしまったのではないかという疑惑が生まれ始めた。つまり投票させることによって、この作品で最も大事な”曖昧さ”が抜け落ちて、深刻になりすぎてしまったのではないかということだ。

 

いや、まてよ。とはいえこれはあくまで”ドーナツ”への投票だ。ドーナツの話じゃないかもしれないけど、ドーナツの話なのだ。たとえどちらに投票したって、アンケートに己のイデオロギーを熱くぶつけたところで、相手はドーナツだ。だとしたら深刻になりすぎるくらいの方がむしろ面白いかもしれない。

 

ちなみに投票結果は「archive」の方に掲載している。結果をご覧になれば分かる通り、賛成多数。そして最も共感を得たのはサーターアンダギーをつくっている女性となった。サーターアンダギーをつくっている女性の言葉はなんとも道徳的で優しい。彼女の言葉を聞いていると金子みすゞの詩、"わたしと小鳥とすずと"の一説「みんなちがってみんないい」を思い出す。現代では、この優しさが人々の心に必要とされているのかもしれない。しかし「みんなちがってみんないい」と主張した金子みすゞは、最後は自殺してしまったことを思うと、世の中は多分道徳だけではどうにもならない気もしてくる。

 

続いて人々の共感を得たのはアメリカ人神父だ。彼は全ての事象を宗教的な言葉で語っていく。ドーナツも社会問題も、彼の手にかかればキリスト教の教えに収斂されていく。こうした言動に人々が共感を得るならば、もしかしたら世のアクティビストたちはもっと宗教と仲良くするべきなのかもしれないと思う。なかなかうまくいかない運動も神の一言でワンチャンある、かもしれないし。でも日本人の宗教アレルギーを考えるとそれも難しそうだ。

 

どうやら私の頭はすぐに暗澹たる結果を参照したがるようだ。キュンチョメ根暗説、濃厚。まあそれゆえにアートなんてものを愛しているのかもしれないんだから仕方ない。

 

アートは詩に似ている。

アートは宗教に似ている。

でもアートはもっと大胆に間違えることができる。進んで間違えることがアートの役割ではなかったか。正解を求めがちなこの世界で、もっともっと間違えていきたい。三日間の投票を通して、そんなことを思った。