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ドーナツの穴は検閲をくぐりぬけるのか。
「検閲」とは表現の自由を奪う由々しき問題であるが、それが”ルール”として存在する場所がある。
ラオスやミャンマーもそのひとつだ。でははたして、この映像「完璧なドーナツをつくる」がラオスやミャンマーで上映されたときには検閲対象になるのだろうか。それが今回の上映会のテーマである。
上映に来てもらったのはミャンマーでアニメーションを制作している作家のスーリヤと、その生徒2名。そしてミャンマーで検閲と戦う映画祭を開催している女性キュレーターのトゥトゥ。
そんな4名のためだけの上映会が行われた。もちろん手作りのサーターアンダギーは食べ放題だ。ちなみに生地をこねたのはわたしで、揚げたのはナブチなのでこのサーターアンダギーもキュンチョメの作品といえるかもしれない。ナブチは「このサーターアンダギーは甘さが足りないから失敗。やはりホットケーキミックスを100均で買ったのが失敗だった。せめて200円のにしておけば...」と深刻に悩んでいたのだが、まぁカロリー控えめは世界の流れということにしておこう。
そんなサーターアンダギーを食べながらの上映会。
見終わった後に最初に口を開いたのは、ミャンマー人のトゥトゥだった。「日本では沖縄という小さな場所で起きていることが、私の国では全土で起きている。だから映像の内容を理解できたよ」と笑顔で語るわけだが「それはよかった」と返していいものか否か。
そんな彼女は続けて語る。「映像を見ている最中、とくにミックスの芸人が出てくるシーン。あそこでロヒンギャのことを考えてしまった」と。「ふわっと思考が飛んじゃって、ちゃんと見てなくてごめんなさい」と言葉を重ねる彼女だが、あやまることはなにもない。映像をみていてふわっとする瞬間、それはとても尊い。単に映像に飽きたり疲れたりした瞬間なのかもしれないが、同時にそれは映像が映像として描いていること以外に拡張された瞬間でもある。ドーナツの穴はロヒンギャへのワープホールになれたのだ。
そして話は検閲の話へとつづく。トゥトゥは「ミャンマーは自国の問題しか検閲しないからこの映像は問題ない。それにこの作品はドーナツという”ソフト”な表現だから絶対大丈夫」という。我々が考えるようなゾーニングや検閲と違って、軍事政権突っ走るミャンマーにとって一番重要なことは、自国の体制の保全なのだ。どのような表現であっても、ミャンマーに関する表現でなければよい。
それに対しラオス人のスーリヤは「ラオスには確かに厳しい検閲制度があるが、自分から申し出なければ検閲されることはない」という。まさに、言わぬが仏。仏教大国ラオスにおいては馬鹿正直になるよりも黙っていたほうが賢いということなのかもしれない。しかし彼の話ぶりには含みがあった。遠回しに、直接的な政治批判はしないように気をつけながら何かを語ろうとする感じ。もしかしたらなにかを恐れているのかもしれない。そういえば以前、ラオスで会った現地アーティストが言っていた。「政治的な作品を作る人はいるよ。でも、いつのまにか消えちゃうの。いつのまにか。あの人も消えたし、あの人も」自然な口調で、ハハハと笑いながら言われて思わず笑い返してしまったが、まったく笑えた話じゃない。
ドーナツの穴はドーナツの穴であるがゆえに検閲をくぐりぬけることができそうだ。しかし、もし何かがあった場合、自分が底知れぬ穴の中に消えることになるのかもしれない。表現には刺し違える覚悟が必要だ。